あいつはYABAI

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 テレビをつけると,日本語をテーマとする教養バラエティ番組(NHK)が始まっていた。「やばい」がテーマだ。そして「やばい」は,私のもっとも「きらいな」言葉の一つだ。

 なぜ「いや」なのか,「きらい」なのかを考えてみたい。

 語源的は,江戸時代の牢屋を指し示す言葉からきているらしい。ひどい,危険,危ないという意味で,ネガティブな意味だ。「品のない言葉」「囚人の言葉」「異界の言葉」「不気味で危ない世界に生きる人たちの言葉」という印象をもっていたのだが,それはどうも,このような語源にあるようだ。
 *他の説もある。語源由来辞典http://gogen-allguide.com/ya/yabai.htmlに詳しい。


 ところが2000年あたり以降,徐々にポジティブな意味で使用されるようになり現在に至っている。現在では,おいしい食べもの,魅力的なファッション,しぐさなど,相当に幅広い対象に対して,ポジティブな評価を意味する言葉として使用されている。

 この言葉のおもしろい点は,ポジティブ,ネガティブ両方の意味(方向性)で使用されていることだろう。
 「授業のおわりに出席とったよ」
 「やばー」(授業をサボった学生によるネガティブな感情表現)
 「このお菓子,ほんと美味しいから食べてみて」
 「うわー,やばー」(おいしいというポジティブな感情表現)

 要は,感情の程度を表現する言葉なのだ。ポジティブかネガティブかの方向性は文脈依存である。さらに言うと,文脈,状況をきちんと理解しているかどうかの確認目的の用語である。

 文脈,状況を理解できていなければ,「しかと」され,無視され,仲間には入れてもらえない。身内言葉であり,集団凝集性を高める役割をもつ,そういう「道具」なのだろう。

 外国語でも類似した用例があるという。例えばniceという言葉は,かつては(16世紀頃は)ネガティブな意味で使用されていた(らしい)。

 枕草子の「をかし」,源氏物語の「あわれ」と同様に,「やばい」もきわめて汎用性高く使用されつつある。。。と,番組ではまとめていた。

 しかし,使いたくない。使って欲しくない言葉だ。なにかがひっかかる。

 「余韻」がないというか,シャットアウトされた印象がつよいというか,「はい,ここまで,おいしまい,終了!」というか,それ以上の言語表現を排除するような印象がある。さらに,
 「大変なことがおこりましたよ」
 「やばい(はい,大変なことがおこりました)」
 「おいしいですよ」
 「やばい(はい,おいしいです)」
と,単純な,確認作業をしているだけのように感じてしまう。

 1980年代以降の若者言葉をみていくと,互いの「内面に立ち入らない」為の「配慮」に特徴がある。立ち入った話しをしたがる人間は慎重に「排除」されていく。「やばい」もこのラインに沿った言葉であるような気がする。
 
「あいつはYABAI」(これも文脈によってはいい意味なんだろうな。。。マイケル・ジャクソンのBADみたいに)。

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 久しぶり(といっても一月ぶりか)の東京出張。

 大塚では世界飯店という怪しげな中華料理屋で遅い昼食をとった。まあまあの店であった。後で調べるとB級グルメ店としての評価が高い。見るからに働き者の中国人夫婦は鶏か鴨かをつぎつぎとフックでつるし,丸焼きの下処理をしていた。

 巣鴨では料亭田村で夕食。往年の女優藤村志保の妹が女将という店だ。映画関係者の利用が多いらしい。料亭といっても,我々が食べるものは夜でも注文できるサービスランチ。サービスランチといっても,手抜きはない。奥座敷で出されているものと同じ料理が出されているようだ。すごく得をした気になる。勘定時には見目麗しい女将と少し話しをした。

 上野から根岸へ向かう途中に,森鴎外の旧宅(舞姫などを執筆していた頃の住居)を改造した料亭旅館(ホテル)がある。別館でビジネス客を泊めておりそこの料金は安い(もちろん私はそちらの方の客だ)。鴎外が居住していた頃にはなかったはずだが温泉がでたらしい。鴎外温泉なるものも併設されている。

 本館の宿泊客は鴎外旧宅内の大部屋で朝食を食べられるが,別館の客は店舗の方で食べる。とはいえ出てくるものは同じだ(確認した)。今回は(たまたまなのか)客筋は今ひとつだったが,このホテルはおもしろい。鴎外旧宅内の大部屋,小部屋での会食もできる(が,かなり高くつく)。朝食は実にしっかりとした内容だった。
 
 日曜日の会合は学習院大学。お昼にだされた弁当は鰻重。こう暑いと「土用の丑」「精のつく食べ物としてのウナギ」のありがたさが実感される。

 ともかく暑い。少し歩くと汗びっしょりになる。久しぶりにマクドナルドに入り,Mサイズ200円のコーラ単品を注文。店内は家族連れと子どもの集団と独り者がちらほら。200円で涼めるのだがら安いものだ。

 

 学習性無力感(絶望の学習)で一躍時の人となったゼリックマン(M. Seligman)はその後,やる気のなさが学習されるのならば逆に,やる気だって学習されるはずだ,ということで学習性楽観主義(learned optimism)を唱えた。

 *セリックマンなのかゼリックマンなのか今ひとつはっきりしない。

 Seligmanが学習性無力感の研究を行っていたのは1960年代の後半であり,その後学習性楽観主義の可能性を論じ始めた。1991年には本を出している。臨床心理学のリーダー的存在から健康心理学のリーダーとなり,今やポジティブ心理学の「教祖」的存在だ。

 心理学はこれまで「ネガティブな側面」にばかり目を向けてきた。もうそのような時代ではない。これからの心理学は人間の「ポジティブな側面」に目を向け,より前向きに生きていく「科学的」方法を身につけていこう,という考えがベースにある。

 1998年にはアメリカ心理学会の会長に選出された。ポジティブ心理学の勢いは止まらず,今ではかなりの大学でポジティブ心理学のコースが置かれ,ポジティブ心理学部(学科)も生まれ始めているらしい。
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 セリックマンと彼の所属するペンシルバニア大学心理学部は学部生の頃からなじみがある。セリックマンの「かっこよさ」(外見のことではない)は他の心理学者を圧倒する。初めて直接にお会いした20年前ですら「大スター」であった。それがこの20年間でさらに「大出世」し,「スーパースター」となっている。

 そのような人物であるだけにポジティブ心理学の動向には注意をしていた。

 しかしどこか引っかかる。何かなじめない部分がある。幸福(happiness)は本当に科学の対象となりうるのだろうか。。。
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 心理学ではないが興味深い本がでた。「ポジティブ病の国,アメリカ:Bright-sided」というタイトルだ。「あやしげ」な本ではない。むしろ,理系出身の著者が社会問題をとりあげるとこんなにカタイ本になるのか,といいたくなるほどしっかりとしている。

 そこでは当然のことながらポジティブ心理学が取り上げられている。インタビューに登場したセリックマンは申し訳なくなるぐらい「あやしげ」な人物だ。狡猾で,計算高く,無責任で,自分勝手な人物であるかのような印象だ。

 微笑みや笑いが免疫を高め,ガン細胞の増殖を抑え,抑えるどころか排除するような可能性があるのだろうか?(お笑い番組全盛の日本にがん患者はいないのか?)

 著者は細胞免疫学を専攻していただけに,そのあたりの批判的記述は実に説得力があり,わかりやすい。
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 アメリカの現代史をみてみよう。なぜベトナム戦争が継続され,あれほどこじれてしまったのか。なぜイラク攻撃が行われ,その「正当性」が正々堂々と主張されてきたのか。なぜリーマンショックが発生し,地上で流通していたはずの「紙幣」の4割ほどが突然に消えてしてしまったのか。なぜ穀物(トウモロコシ,大豆)の種子の8割がGMO(遺伝子組み換え作物)になってしまったのか。

 著書は,これらの「非常識」を支えてきたもの,今なお支えているものがポジティブ思考だという。アメリカ人は,ポジティブ思考に「マインドコントロール」されている。ポジティブ心理学はそれに「科学的」根拠をあたえつつある(それが科学といえるかどうかについては懐疑的だが)。

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 確かに「アメリカ人」は総じて「異様に」明るい。笑うこと,微笑むことを大事にする。社交的な場面では特に重視する。久しぶりに会うと大喜びで抱きしめて(ハグして)くる。悲しい話しにはできるだけ目を向けず,話しを変えようとする。

 ものごとのよい一面,明るい一面(bright side)に注意を傾け,前向きに,積極的に,よりよい未来を信じて,前進あるのみという価値観,心情,思考法をとる。

 そして,そのことがものごとの否定的側面(dark side, negative side)への関心を失わせ,正確な,ファエーな,より客観的,批判的な判断をにぶらせてしまう。

 「ノーテンキ」なアメリカ人ができあがってしまうというわけだ。
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 進化の過程でわれわれは,ネガティブな一面により一層の注意を払うようにバイアスがかけられた。今や恐竜や氷河におびえる時代ではない。そのようなバイアスに打ち勝ってこそ人類の未来があるのだ,という説得にアメリカ人は呼応する。そこにポジティブ心理学は「科学」というスパイスを注入する。

 アメリカ人の貯蓄率は低い(明日に不安がないのか)。転職を繰り返し,下手をすると収入的にはすぐに下層に落ちてしまう。さらにホームレスになってしまう。彼らの「不幸」の声は社会の表舞台にはとどかない。

 *補記:「日本の「家計貯蓄率」は世界最低水準」という記事を見て驚いた。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100716/237208/
日本人の貯蓄率はとんでもなく低くなっている。たっぷりと貯金をしてい高齢者世代人口の減少,生活の為の貯金の取り崩しなども反映されているようだ。なんなんだ,これは!という数字である。


 社会の表舞台で人生を送っている人にとって大事なことは寄付(donation)だ。この寄付の習慣,その金額も日本の比ではない。なにか,ポジティブ思考の「負の側面(negative side)」を寄付という行為でカモフラージュしているような気すらしてくる。
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 人の食行動だって,苦み,渋み,辛みなどには敏感に反応するが,「おいしさ」には鈍感だ。危険には敏感だが,安全には鈍感だ。病気,けが,苦痛には敏感だが,「健康」には鈍感だ(健康な人は健康であることを意識しない)。

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 日本人にもポジティブ思考が浸透してきているような気がする。最近の「若者のやさしさ」や「草食系男子」の属性にポジティブ思考は大きなウェイトを占めてはいないだろうか。

 お説教めいた話しになるが,ものごとには必ずポジティブな側面とネガティブな側面があり,その両者を正当にかつ「批判的」に評価していくことが思考のあるべき姿のように思う。

 ネガティブな側面にばかり注意がいく人にとってポジティブ心理学は有効だろう。しかし,それが,ものごとのネガティブな側面を忘れることを助長するようなことになれば危険このうえない学問となる。

資料:http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100716/237208/より
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就職難

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 7/19の日本経済新聞ではポスドクの総数が増えていることを報じている。心理系がどの程度の比率を占めているかは不明だが,1000人以下ということはないように思う。ポスドクとは,大学院(博士課程)は出たが,その専門知識・技術を生かせる職場が見つからないというケースだ。専門という「一芸」に秀でているだけにつぶしはきかない。気がつくと5年6年と経過していたということも珍しくない。
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*第5部人材を生かす(上)博士の就職支援模索(ニッポンの科学技術力)
2010/07/19, 日本経済新聞 朝刊, 11ページ, 有, 1971文字より

 一方で,学部卒の就職も厳しさを増している。文部科学省によれば本年3月卒業者の終章率は91.8%ということだ。(昨年同期比3.9ポイント減ということだが,高すぎる印象がある。ちなみに前年12月1日段階での内定率は73.1%。)
*あしたスコープ――内定なく卒業3万1000人、既卒者就活、厳しい再挑戦(生活)
2010/07/20, 日本経済新聞 夕刊, 13ページ, 有, 2342文字
*平成21年度大学等卒業者の就職状況調査(4月1日現在)について
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/05/1294174.htm

 asahi.comを見ていると領域別の内定率がでていた。(AERA:2010年2月22日号)
 心理      ↓21.2    52.6   73.8
 情報・メディア ↓29.2    52.5   81.6
 外国語     ↓31.8    46.9   78.7
 社会      ↓32.1    50.5   82.6
 教育      ↓34.5    49.6   84.1
 文・人文    ↓34.9    40.7   75.6
 社会福祉    ↓35.0    49.4   84.4
 人間・人間科  ↓38.7    42.0   80.7
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 全体      ↓30.2    50.6   80.8
 こうして見ると「心理」はまだマシなようだ。数字的にはこちらの方が実際に近いような気がする。記事のポイントは,学部間の「内定率格差」であり,特に「文学部がひどい」というものなので,よりリアルなのだろう。とある中堅地方私学が職員(正規)を募集した。採用数は「若干名」,多くても3名だ。150人を超える応募があり,一次試験の欠席者も少なかったという。
*http://www.asahi.com/job/special/OSK201003090053.html

 さて,7/20の日経「春秋」では,興味深い話しを紹介していた。韓国の大学進学率は8割を超えるとのこと。ところが就職率は日本よりもずいぶんと低く,非正規雇用を含めても60%台だとのこと。日本の「暗い」将来を暗示するようで不気味。
*韓国に「キロギ・アッパ」なる言葉がある(春秋)
2010/07/20, 日本経済新聞 朝刊, 1ページ,  , 538文字

 文系学生を採用する側からみて「魅力的」な文系学生とはどのような学生だろう。コミュニケーションの能力(相手のいうことをきちんと理解でき,かつ自分の考えを上手に伝えることができる。かつ,その機会を通じて双方の人間関係が好ましい方向で強まる),丁寧な字で文章を書くことができる能力(ワープロばかり叩いていてはいけない),英語に「おそれ」を見せないこと,さらに情報検索力(インターネットを効率よく使うことができる)といったところだろう。

 団塊世代の退職が進んでおり,どの業種どの企業も次世代をリードするであろう若手の雇用を望んでいる。20年先,30年先を見通しながら働いてくれるような人材だ。ところが,ぽつりと本音がでる。「しっかりしているのは女子ばかり。まともに試験をすると女子しか残らない。いったい最近の男子はどうなっているのだろう。。。」なんとも厳しい感想だと思う。
 

 

 心理学を習い始めの頃,最初に有機体という言葉を覚えた。英語ではorganismだ。今では個体という用語を使うことが一般的だ。辞書によれば,18C初期に,organize, organizationという言葉から派生した言葉で,現在では"an individual animal, plant, or single-celled life form."という意味で使用されている。

 一方でorganicという言葉がある。こちらの方は起源が古く,ギリシャ語,ラテン語を経て中世イギリスで誕生した言葉ということである。最近では,「生物由来」という意味で用いられており,「有機野菜(organic foods)」といった使い方を目にすることが多い。化学の領域では,有機物質とは炭素を含む物質のことだ。

 同じ「有機(organi-)」でも語源は異なるようだ。とはいえ日本語でも英語でも意味的に重なる部分がある。つまり,個体,生物,炭素というつながりだ。

 さて,このブログではかつて,現代人の身体は,トウモロコシ由来の炭素で構成されている比率が高くなっている(らしい)と書いた。トウモロコシの力畏るべし。生命活動にもっとも必要とされる元素は酸素と炭素である(ようだ)。
"Cの豊穣とマクドナルド"(2009年11月26日 08:52)
http://www.shudo-psy.net/imada/blog1/2009/11/c.html

 酸素は今のところ枯渇する気配はない。飽食と驚異的な人口増をささえてきたものは食糧ということになる。特にトウモロコシだ。それによって豊穣なる物質,炭素が供給されている。

 では植物由来の炭素はいかにして増産されてきたのだろうか。最近読んだ本「「大気を変える錬金術:ハーバー,ボッシュと科学の世紀」」(みすず書房)では窒素に注目している。本書によると,大幅な人口増を支え,加速させてきたものは窒素(固定窒素)の豊穣なのだ。
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 人間の身体は体重で見ると,炭素,酸素,水素で90%以上を占めている(らしい)。それらに続く第4の元素は窒素である。窒素がなければタンパク質をつくることができない。遺伝子を作ることができない。これまた生物にとって不可欠な元素である。

 20世紀の初め,世界の人口は約10億人。それが百年後の今,60億人を超えている。果たして増加した50億人は何を食べているのだろう?どのようにしてこの地上でそれだけのヒトの食物が賄(まか)なわれているのだろう?

 19世紀の学者たちが試算したところ,どんなに計算しても地上で養える人間の数は40億が限界とのことだった。その楽観的数字を参照しても,そのままいけば20億は餓死していたはずだ。

 しかし現在,地上には60億の人間がおり,食物はあふれかえっている。(飢餓人口も多いがそれは地上に食物が不足していることが理由ではなく,政治的理由が大きい)

 この疑問を解く鍵は窒素にある。ハーバーによるアンモニア生成法の発見にある。彼は大気中の窒素分子と酸素分子に高圧をかけて,さらに触媒の力をかりて,アンモニアを生成することに成功した。アンモニアは窒素原子1と酸素原子3からなる分子である。ひとたびアンモニアを手にすれば,硫酸アンモニウム,硝酸等を簡単に合成できる(らしい)。

 つまりハーバーは,大気から(化学)肥料を作り出すことに成功したのだ。そして,続くボッシュはその発見を基に,肥料を大量に生産する技術を考案し,実際に大規模な肥料工場をつくった。(二人はそれぞれノーベル化学賞を受賞している)

 時は1910年代初頭。第一次世界大戦の直前だ。当時のヨーロッパ諸国は,南米ペルー,チリ,ボリビアから硝酸塩(チリ硝石,肥料)をはるばる海路で運んできて作物を育てていた。しかし,海上をふさがれると硝酸塩はとどかず国民は飢えあがってしまう。戦争はその脅威との戦いでもある。それが,すなわち肥料が自国内でまかなえるようになったのだ。俄然ドイツは強気になる。。。

 アンモニア生成技術は,火薬の原料である硝酸生成の技術でもある。実際にボッシュの肥料工場は第二次世界大戦時には火薬生産工場となった。さらに彼らの技術は,毒ガス製造技術へと転用されたいった。つまり彼ら(ハーバーとボッシュ)が発見した「錬金術」は,化学肥料の生産によって20億から50億の人々を餓えから救うことに貢献した一方で,戦争を長引かせ(ナチスドイツの降伏を数年長引かせ),直接間接に数万から数百万の人々の殺戮に加担したことになる。

 ちなみに彼らの技術は石炭を原料とする合成ガソリン精製の技術にも転用されていった。これも戦争を長引かせることに大きく貢献したようだ。

 現在アンモニアは年一億五千万トンも作られているとのこと。その8割が肥料の原料となり,化学肥料として使用されている。データはばらついているが,肥料の半分は作物にとりまれず湖沼,海へ流出する。とはいえ,我々の身体の窒素はほぼその半分が化学肥料由来となる(らしい)。
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 ハンバーガーセット(ハンバーガー,ポテトフライ,ドリンク)を構成する炭素はそのかなりの部分がトウモロコシ由来であるという話しだった(前述のブログ)。
 ではこのトウモロコシの豊穣を可能としているものは何か。答えは化学肥料である。ハーバーによって発見され,ボッシュによって確立された技術が今や世界中で利用され,アンモニアをベースとする肥料を生産しているのだ。その肥料のおかげで穀物の生産量は劇的に増え(緑の革命),餓死して不思議のなかった20億から50億の人々を生存可能とし,さらに膨大な余剰食物を生み出している。

 このこと,20億から50億の人々を餓死から救うことに貢献してきたものが化学肥料であることを疑う人はいないだろう。人口増がもっとも顕著な国である中国は,現在,世界一の化学肥料生産国であり,使用国である(らしい)。ハーバーとボッシュの恩恵をもっとも直接に受けた国といえる。
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 地球温暖化は化石燃料の使用による二酸化炭素の増大に目がむかっている。しかしこの膨大な窒素(固定窒素であり,大気中に8割存在する窒素分子ではない)の影響も大きいに違いない。仮に20億の人類が増えれば毎日20億人分の糞尿(固定窒素)が余分に排出されることになる。炭素と比べれば大気の還元される割合はずいぶんと低い。さらに,肥料の半分は植物に取り込まれないと考えれば,膨大な窒素(固定窒素)が地上(湖沼,海含む)に流出しており,地上は急速な勢いで窒素(肥料)だらけの状態になっていることになる。
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 生命活動を支えているものは食物であり,カロリーであり,エネルギーである。酸素と炭素にばかり目がいくが,その食物を生み出し,その食物からタンパク質を構成するに必須の元素すなわち窒素の存在を忘れてはいけない。「食べる」という行為の意味,その背後にあるプロセスを考えてみると,どうも炭素と窒素が鍵を握るようだ。

 
 

 

 

 

 最近,乳幼児の食について考えさせられることが多い。行政の現場では「食がヘン」という印象をもつ人が多いようだ。

 ヒトは哺乳動物であり,生得的に有する食性は単食性(乳のみを食物とする)だ。それ故に,生得的反射の多くは摂乳に焦点があてられる。乳児は「乳探し反射」ともいわれる探索反射により乳首を探り当て,口に取り込む。すると舌が動き始める。吸啜(きゅうてつ)反射だ。これは乳首を舌で包み込み,舌の前方から後方に向けて波動様の動きがでてくるというものだ。これで摂乳が可能となる。他にも,下あごを動かし咬む(といっても歯はないが)という咬反射や,口唇を指でさわると口を動かすという口唇反射がある。いずれもが母親の乳首から乳を摂取するという目的にそったものであるといえよう。

 かくして人生最初の食は,ほぼ生得的な反射によって成立する。

 乳汁は嚥下反射を誘発し,口腔内の乳汁は,口から食道へと流れていく。ここでおもしろいことは,乳児は息をしながらでも嚥下できることだ。これは咽頭部と咽頭の位置が成人の場合と異なるので可能であるということらしい。成人では咽頭が,呼吸と嚥下の共通経路となるために,このような「器用」なまねはできない。

 われわれの呼吸器官と胃腸器官は本来別物であったのだ。それがいつのまにか咽頭が両機能をカバーするようになり,息をしながら食事を飲み込むということができなくなった。個体発生は系統発生を繰り返すといわれる。乳児の嚥下については,ヒトひいては動物の進化を考えていく上で大きなヒントを与えてくれる。
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 乳には生得的な嗜好があるのだろうか。しかし,そのことを積極的に示す証拠は見あたらない。乳は相当に複雑な香気成分をもつ。また乳母によってその香気成分はかなり異なる(らしい)。乳母がニンニクを食べると乳にニンニクの香気成分がでてくるという研究結果もある。さらに乳は,飲み始め(出始め),途中,飲み終わりという時間経過によってその成分がずいぶんとかわる(らしい)。なまじ乳に生得的な「食物ラベル」を与えてしまうとこのような「変動」に適応しきれなくなるというリスクが生じる。現に粉ミルクを与えても乳児はそれを飲んで育つ。乳そのものには生得的な嗜好がないと考えた方がいいのかもしれない。

 甘味には生得的な嗜好を示す証拠がある。乳はその乳糖成分によって,マイルドな甘味を感受させる。乳児はこの甘味に対して「摂取拒否しない」のかもしれない。
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 摂乳は遺伝的に組み込まれた反射だけでなく,母子間の「基本的信頼関係」により獲得される行動とみるべきだろう。乳児は猛烈ないきおいで「食べることの学習」を開始する。

 エネルギー欠如がもたらす不快感は,摂乳という行為により,軽減される。乳児はそのこと(エネルギー欠如がもたらす「不快感」は摂乳により緩和され,消滅するということ)を学習し,「不快感」を感じたら乳を求めるという行動を学習していく。(Bruchは乳児期におけるこの学習が不完全であると,後年,食障害に陥るリスクが高まると論じている)

 やがて,そのような「不快感」は押しピンがおしりに刺さったときのような痛み,不快感とは質の違うものであるということを弁別(学習)し,徐々に「飢餓感」「空腹感」という主観的感情(feeling)を知るようになる。さらに「飢餓感」「空腹感」という不快感を低減してくれるものが「食物」であるということも学習していく。やがてはそれが「マンマ」といった幼児語となり概念化していく。
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 乳児の脳細胞は急速かつ劇的に増大し,神経繊維は膨大なシナプスを形成していく。生きていくための基本的な「知恵」を身につける重大な時期でもある。刻印づけに類するような長い生涯にわたって不可逆的な「知恵」を身につけていくものと思われる。食の基本形もこのきっとこのような不可逆的学習によって獲得されていくのだろう。
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 生物リズムは生得的なものだ。しかしサーカディアンリズムは現在の24時間の日周リズムに同期させる必要がある。この同期はウルトラディアンリズムの同期とともに進行する。一日というリズム,一日の中のリズムが安定していくと,さらに昼夜リズムを身につけていかないといけない。ここでも乳児は,たっぷりと「学習」しなければならない。環境適応という一語ですむことかもしれないが,当の本人にとっては実に大変な課題であるに違いない。昼夜リズムはくせ者だ。なにしろ,季節によって変動が大きい。緯度によっても変動するのだから。

 これらの「学習」に大きな役割を果たすのが睡眠と食行動だろう。ヒトはなぜ食べるのか?日周リズムを身につけるため,というのが答えの一つに違いない。
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 乳児期は,食に限らず生涯にわたるさまざまな行動の原型をかたちづくる時期である。そのことを否定する人はいないだろう。常識とすら化している。しかし「食もまたしかり」,否,「食こそがその中心にある」と発言する人はごくごく限られている。

 「三つ子の魂百まで」はよくできたことわざだ。食の乳幼児発達をみていると,3歳ではもうかなりの部分ができあがっている。生後15から16ヶ月までが「勝負」だろうか。

梅棹忠夫没す

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 昨日(2010,7,6),梅棹忠夫が老衰にて死去というニュースが流れた。まだ大学へ行く前の頃だった。彼の「知的生産の技術」に感銘を受け,何度も読み返したことを思い出す。「情報」という言葉はその時に頭に焼き付いたのだと思う。大学入学に必要な英単語はその「技術」を自分流にアレンジして比較的短期間に身につけたことも懐かしく思い出す。農耕社会→産業(革命後の)社会→(来るべき)情報社会という「史観」もその時に身につけたように思う。「知的」な生活にあこがれる契機となった一冊だ。

 梅棹忠夫からの連想で加藤周一を思い出した(そういえば彼も最近死去した)。最初に読んだものは「羊の歌」(正・続)だった。攻撃的であり叙情的であり打算的でありシニカルであり,なによりも知的であった。自分自身を客観的に,距離をおいて眺め,分析し,評価する。この本も何度も読んだ記憶がある。加藤周一は,実は,カッパブックスから「頭の回転をよくする読書術」(1962)というハウツーものも出している。ところがこの本は,その後刊行された著作集には再録されていない。著者自身が再版,再録を許さなかったのではないかと想像している。記憶では,「頭の回転をよくする読書術」はずいぶんと「本音」が出ていたように思う。記憶頼りなので「記憶の歪み」があるとおもうが,「本を読むとは読んだつもりになること」と要約できそうな内容だった。読書とは読み手の能動的な行為なのだということを(自分なりに)学んだように思う。

 さらに小林秀雄を思い出した。「考えるヒント」はそのわかりやすいタイトルとは真逆に,何度も何度も読み返さなければ「読んだつもり」になれない内容だった。今から思えば散文というよりも散文詩ともいうべき文章だったと思う。

 散文詩といえば田村隆一(彼の場合は大学入学後だったように思う)を思い出す。なにげない独白,日常会話,ため息,一息でしゃべる程度の簡単な言葉なのだが,それががとんでもなく広大なイメージを喚起させる。今もいくつかのフレーズが頭に浮かんでくる。

 今回のニュースで,思いもかけず,「心理学以前」の自分を思い出した。上で取り上げた人々はみないなくなってしまった。梅棹忠夫90歳,加藤周一89歳,小林秀雄81歳,田村隆一75歳と結構みな長生きをしている。。。。と思って調べてみると,平成20年の男の平均寿命は79.29歳,女は86.05歳だ。死亡者数でみると,男子の死亡者数は加齢にともない増加していくがそのピークは86歳。「寿命中位値」というものもその手前あたりだ。85−86歳まで生きてようやく人生を全うしたといえるのかもしれない(なんとも先は長い。。。)。

 この4−5年ではないだろうか。食べ過ぎることの心理に関する研究が増加し続けている。論文を組織的に整理しているのだが,絶句するほどの数だ(タイトルの数をみるだけで読もうとする気持ちが萎えてしまう)。

 最近,大学院の授業で学生と一緒に読んだ論文を一つ紹介する。くだいて説明する。ダイエットに励んでいる人とそうでない人がいる。両者を実験室へ招き,一瞬(25msということなので実際には「見えない」)食べることの楽しみ・喜びを喚起するであろう言葉を提示する。例えば「おいしい!」といった言葉だ。それに続いて,「ダイエット」「やせる」などの言葉あるいは無意味綴りを提示する。こちらの方はしっかりと明示され,実験参加者には意味のある言葉には反応キーをおすことを求めている。つまり(表面上は),意味のある言葉かどうかの識別実験だ。

 結果をみてみる。ダイエットに励んでいる人は,そうでない人と比べて,「ダイエット」という言葉に対する反応が一瞬遅くなる(反応潜時が長くなる)。

 この一瞬の遅れはどのように説明されるのだろうか。まずわれわれの認知活動には容量制限がある。なにか一つのことを考えていると別のことを考えることはできない(少なくとも難しい)。ダイエットに励んでいる人は「ダイエット」のことばかり考えている。それ故に,通常の状態ならば,「ダイエット」という言葉をきくと直ちに反応する。(実際の実験結果をみると,コントロール条件ではそのような結果が得られている)

 ところが,25msというごく短い時間(意識することはまったく不可能な)でありながら「おいしい!」という言葉を見せられてしまった。無意識の知覚(そして認知プロセス)が喚起されてしまい,頭の中で,「ダイエット」の敵である「おいしく,楽しく食べる」ことを考え始めてしまったのだ(これも無意識のうちに)。認知活動の容量に制限があるが故に,「ダイエット」のことは相対的にあまり考えなくなった。それ故に「ダイエット」という言葉に対する反応が一瞬遅れてしまった,というものである。

 ダイエットと反ダイエットは拮抗する力関係にある。頭の中では,反ダイエットがダイエットを押し込み,「ダイエット」から「食べる,おいしく食べる」という認知活動が優位にたってしまった。ダイエットについては「今は」考えたくない。そのような認知状態にあるから,「ダイエット」という言葉に対する反応が一瞬遅れてしまったという説明である。

 きわめて理論的,典型的な心理学実験だ。演繹的思考から仮説を導き,それを実験で証明する。結果は(当然)統計処理がおこなわれ,「有意」である。論文も起承転結の構成でうまくまとまっている。あれこれでてくる疑問も今後の「経験的検証」が可能なものばかりであり,研究の発展的展開が十分に予想される。まさに優等生的論文といえよう。JESPというAクラスの学術誌に掲載されていたのだが,それにふさわしい論文といえる。
Stroebe, W. and et al., Why dieters fail: Testing the goal conflict model of eating, Journal of Experimental Social Psychology 44 (2008) 26-36


 この実験は,認知心理学領域ではおなじみのプライミング(一瞬の無意識下での刺激提示)の技法を用いたものである。「うその心理学」でおなじみの,サブリミナル実験だ。

 わからないことは,どうして視覚刺激を用いなかったのかということだ。事前に刺激を決めておく操作は必要だが,トンカツ好きの人にはトンカツを,カレー好きの人にはカレーの画像を提示し,「食べる意欲(動機)」を高めて,同じ課題を行わせる方がもっとはっきりとした結果が得られただろう。さらに,反応時間のようなものではなく,単純な計算をおこなわせるといった課題の方がもっと明瞭な差異が得られたような気がする。(考えてみれば,この実験は空腹感という動機の統制をしていない。この問題は大きい)。

 さて,「ダイエット」をしている人にとっては,反ダイエット思考が頭を占領した時が怖い。待っていました!とばかり,食欲が喚起され,持続し,食べ過ぎてしまう。食べ続けている限り「ダイエットについて考えること」をせずにすむからだ。結果として食べ過ぎてしまう。なにより怖いことは,不規則,不定期に「食べ過ぎる」ことは体重増加(脂肪として蓄積される体重)に直結してしまうことだ。(スイーツ好きの「女子」は,不規則,不定期に「カロリーをとり過ぎる」が故に,ふだんあまり食べなくとも「生きて」いけるのだ。)

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 心理学の「教師」とすれば,このような論文をお手本に,学生指導をすることが理想的だ。ただ,心理学の「研究者」とすれば,このような「デキスギ君」のお仕事にはあまりおもしろみを感じない。デキのわるい研究者のひがみなんだろうが。。。

 仕事部屋を整理していると1997年頃の新聞・雑誌の切り抜きがひとかたまりとなってでてきた。そのまま捨てるには忍びない。10数年前に興味をひいたものは何だったのだろうか。以下,列挙してみる。

 怒らぬ若者「いい人」ばかり。。。日経,97,7,7 文化欄。「消えた活火山人間」というコピーもついている。「怒らぬ若者たち」といった本がちょっとしたブームになった時期だ。この傾向はより強まって現在に至っているように思う。キャンパスを見ていても,男女ともに「嬌声」をあげている学生の姿は毎日のように観察されるが,どなりあったり,なぐりあいをしている学生の姿をみることはまったくない。「不機嫌である」「不愉快である」というメッセージを(抑え気味に)表出することはあっても,怒り感情をあらわにする姿を見ることは本当に少ない。

 。。。だからこそ,「怒りに満ちた」事件,犯罪が人目を引くのかもしれない。それにつけても「怒りの世代」からすると,今の世の中はあまりにも静かで,平穏で,平和だ。

 MUSTの国,ニッポン。。。中国,97,7,6 日本はMUST(ねばならない)世界であり,フランスはWANT(したい)の世界だ,という回顧ばなしから始まる文化欄記事。なるほどね,よく聞く話だねと思いながらも,つい読み進めてしまう(共同通信の配信記事なのだろうが,引き込み方がうまい)。内容が,最初の記事と見事にリンクしているところがおもしろい。「しかたがない」「そうするもの。。。」「はい,わかりました」という,実に従順な行動パターンの背後にあるものがMUSTであるということだ。もちろん,この「縛り」を縛りとして意識すると大変なストレスとなるのだが。。。

 日本人は「やさしい」のか。。。日経,97,9,7 同題のちくま新書の書評。「やさしさ」の起源(使用例)を,万葉集,源氏物語,平家物語にまでたどり,「やさしさ」を「誠」と並ぶ日本のもう一つの倫理(律)としてとらえ直す,という内容らしい。薄っぺらになってしまった「やさしさ」に,新たな生命を吹き込もうとする意志に満ちた本である,とのこと。

 「やさしさ」は今の大学生を理解するキーワードになるように思うが,「やさしさ」の意味空間は相当に広い(個体間変動が大きい)。誰か卒論あたりで「やさしさに関する心理学的研究」をしてみてもいいのでは。ちなみに「やさしさの精神病理」(岩波新書)は1995年の刊行。縫いぐるみが「純粋なペット」であり,それに「究極のやさしさ」を感じる若者など,「やさしさ」の(病的)事例が豊富にでてくる。このような「やさしさ」は,どうも,互いの気持ち(内面)に決して立ち入らないこと,傷つけたり傷つけられたりするリスクを徹底的に回避することに特徴があるようだ。フィギュアー愛好の人々(多くは青年層男子)にも共通するように思う。論理的帰納として,この「やさしさ」はとんでもなく「残酷な行為」の許容にもつながるのだろう,と思う。うぅん。。。「やさしさ」とはなんだろうか?

 長崎屋台村。。。JR新宿駅東側を職安通り方向へ向かうと「長崎屋台村」がある(らしい)。おすすめは「まる松」のチャンポンとのこと。しかし,ウェブで調べると「長崎屋台村」はでてこない。すでに廃業している模様。飲食事業で成功するのはほんのひとにぎりといわれる。山ほどの借金をかかえたまま表舞台から消えていった事業者らがどれほどいるのだろうか。ファーストフードやコンビニエンスストアーのフランチャイズチェーン店開業に失敗した人々しかり。「食の繁栄」もその水面下では膨大な数の「敗残者」を生み出している。

 豚玉。。。シェフが焼く逸品とのこと。大阪,松屋町筋を高津公園側へ一本入ったところにある(らしい)。ウェブで調べると現存しており,繁盛している模様。なんばと上本町の中間あたり。なかには「成功者」もいる。

 六本木グルメ映画祭。。。「バベットの晩餐会」(すばらしい映画!),「恋人たちの食卓」(泣ける映画!)など9作を上映とのこと。他の7作が何なのか気になったが,さすがに1997年の情報は簡単にひきだせない。

 人類VSウイルス。。。イ・ウイルスの感染,増殖のプロセスを「やさしく」図解した科学読み物。ウィルスとは,超小の生命体(一応,RNA遺伝子をもつので)であって,世代交代を目的に他の生命体に進入し,進入した細胞に細胞死(アポトーシス)をもたらせる。腸内細菌のようなギブアンドテイクの関係はないので,こちら(進入される人間の側)とすれば排除するしかない。マクロファージがウイルスを認識し,Tリンパ球が活性化し,抗体(IgM, IgM)が発射され,あるいはキラー活性でウイルスをやっつける。われわれは,まさに命(RNA)をかけた戦争をしているのだ。

 味なホームページ。。。1997年の文化欄ならではというか,インターネットでお料理レシピが入手できますという記事。大阪市のカレー専門店「がらむまさら」のホームページなどが紹介されているのだが,今調べると店そのものが見あたらない。10年の歳月は長い。。。

 けじめのない育児。。。1996,10,19 日経。「生きる力」弱める,親の生活見直し必要,自立心養う教育を,というコピーがつづく。乳幼児の教育は「自律」がポイントであるのだが,今の生活は「自律」「自立」をなかなか許してくれない。キャンパスでトイレに行っても,暗くなれば自動的に電気がつくし,用便後の処理もお湯が出てきて洗浄をしてくれる。。。とはいえ,この記事で対象となっていた幼児が今や大学へ入りつつある。「生きる力」は弱まっているのだろうか?

 「危ない」のに出回るんです。。。1996,9,5 日経。こんにゃくゼリーの話しだ。同年,1歳10ヶ月の男児がこんにゃくゼリーをのどに詰まらせ死亡するという事故があった。以下はあくまでも一般論だが,「危ない」食品を次々と市場から排斥していくと食べるものはなくなってしまう。ファーストフード(ハンバーガーなど)しかり,牛丼しかり,防腐剤入り総菜しかり。毒性のない(あるいはリスクの少ない)食品などそうそう簡単に入手できるものではない。食物とはすべからくすべてが毒と考える方が現実的だ。むしろ,毒とは何か,危険とは何か,といったことを考えるための教育手段とすべきものではないかと思う。

 日本人の身体観の歴史。。。1996,10,6 養老孟司著の書評。読んではいないが養老節満載なのだろうと思う。

 風呂とエクスタシー。。。日付不明 書評(平凡社選書) 入浴がもたらす無我の境地,トランス状態をもって「恍惚」を得るのが目的,という結論らしい。世界中の風呂文化が紹介されている(らしい)。確かに温泉の浸ることの快楽は何ものにも代え難い。

 ラーメン。。。グルメ選手権開催第1回ラーメンの部なる記事。どれどれと見ていくと,気になる店名がいくつもでてくる。
   久留米ラーメン魁龍小倉本店:久留米と銘打っていながら久留米には本店も支店もない。久留米出身の店主が「幼い頃の味」を再現したということらしい。きっと,間違いなく,粗野で,荒々しい,戦後復興期から経済成長期へとつながる「久留米の味」なのだろう。

 4年生大学の教授数。。。1999, 12  99年の学校基本調査速報によれば,全国の4年生大学の教授数(専任)は56,655人ということだ。すこし気になって,最新の数字を調べてみた。平成21年5月1日現在で,総数は172,026名。「教授」「専任」という条件では数字がでてこない。平成15年の就業者数は6316万人ということなので,367人に一人という勘定だ(ちなみに高等学校の教員数は239千人,中学校では250千人なので,大学教員は高校教員,中学教員の7割前後という人数になる)。大学進学率は53.9%だ。学部学生数は252万7千人。大学院学生数は26万4千人だ。単純に計算すると,教員一人あたりの学生数は学部で44.6人,大学院で4.6人だ(ちなみに高校で13.9人,中学で14.3人)。大学へ進学してきた高校生が教員との距離を遠く感じても不思議はない,ということだろう。

 

 

 日曜日の朝、東京の大崎にあるデニーズで朝食を食べている。考えてみればデニーズは初めてだ。メニューはしっかりとしている。目玉焼きを食べると調理人のまじめさがよくわかると。なにもつけずに黄身だけをすくいとって食べればいいのだ。騙されたと思ってやってみてほしい。卵の扱い方一つで信じられないほどの違いがでてしまう。デニーズでは目玉焼きを頼んだのだが,ていねいな調理をしていると感心した。

(卵黄は卵黄球というきわめて不安定な構造物からできている。あらっぽく扱うと卵黄球の構造が一挙に破壊され,ベタっとなる。黄身は,ともかく,慎重にていねいに扱うこと。それが目玉焼きを上手につくるコツ)。

 昨日の研究会はおもしろかった。「言い訳の社会学」というものについてあれこれと議論がつづいた。夜はカンボジアという名前のベトナム料理屋。特におどろくようなメニューがあったわけではないが、実にリーズナブル。7人で遅くまで議論が続いた。高田馬場は比較的若い人の人口密度が高く、アジア系を主とした他民族出身者が多く、安くてうまくてお値打ちの飲食店が多いように思う。

 (少し歩けば,古典的フォークソングに登場する神田川がながれる。そのふもとには「べんてん」というラーメンフリークにおなじみの店がある)

さて今回は新しい端末を使って文章を打ち、送信しようとしている。通常のキーボードに慣れているためか少々使いにくい。実はこの文章も使っているうちにどれほどなれるだろうかと、試しているところがある。

 (実は,iPadで入力ページに入るとPCで入るときとは異なったレイアウトになる。なぜだろう?修正が容易ではない。N先生に教えてもらわないといけない)

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