2009年6月アーカイブ

 東京出張の道中に読んでいた本に,アフリカのイブに続いて,アダムすら東アフリカ出身の男性であることが突き止められたという話しがでていた。前者はミトコンドリア・イブともいわれるもので,ミトコンドリアのDNAに書き込まれたマーカー(突然変異の記録)をたどっていくと,地球上の全人類は5万年前の一人の女性にたどりつくという壮大なストーリーだ(もちろん遺伝学者らは「真実」とみなしている)。
 男性についても1990年頃から研究がすすみ,Y染色体のマーカーをたどることによって,ミトコンドリア・イブ同様に一人の男性にたどりつくということが判明したという。中国の研究者らはなんとか「そうではない」証拠をあつめようと(つまり,北京原人を起源するとする人類を証拠立てようと)したが,結局は,東アフリカ起源説をよりつよく肯定する結果を得てしまった。
 この話し,あまりにも専門外であり,「。。。と言われている」としか言いようがない。とはいえ,「人類みな兄弟(きょうだい)」はあやしげな標語ではなく,現代の遺伝学からみると,「真実」であるようだ。

 壮大な人類の歴史も5万年という区切りを与えられるとまだ手がでそうだ。東アフリカの男女は,その時から,すさまじい勢いで(進化の時間軸から見て),地球制覇をなしとげたのだ。少なくともわれわれのミトコンドリアとY染色体(男性のみ)には,5万年前の東アフリカ(エチオピアあたり)に生きていたヒトの記録が残っている。

 という話しに感激していると,マイケル・ジャクソンの死亡がニュースに流れた。マイケルと聞くだけで,デトロイト,モータウン,ダイアナ・ロス,マービン・ゲイ,シュープリームズ,コモドアーズなどが次々と連想される。テレビで頻繁に流されるマイケル・ジャクソンストーリーを見ていると,スリラーの頃はまだまだ肌は黒く,表情も生き生きとしていた。1980年代以降は,どんどんと肌が白くなり,表情もぎこちなくなっていく。大変な人生を送った人なのだと思う。

 デトロイトはクルマの町。フォードがかろうじて残っているが,アメリカの自動車産業は2009年に「壊滅」した。その同じ年に,マイケル・ジャクソンが死亡した。そこに,なにか「運命的」なものを感じる人も多いのではないだろうか。世界は(アメリカは)大きなうねりの中にあるといえる。

 はてさて,そのようなことを考えていた日の午後,高田の馬場で研究会があった。今回のお客様は,「食農教育」を実践されている保育園の園長。実に刺激的で興奮する内容であったが,その中身はさておき,保育園は東村山市にある。トトロの森の舞台だ。映画の中にでてくる「七国山病院」は,八国山緑地の麓にある病院(二つあるうちの一つ)がモデルだという。今も,住宅開発の嵐が吹き荒れているようだが,「七国山病院」の裏手にはまだ雑木林が残っているという。

 私のあたまの中では,5万年前と意外に近いところに存在していた東アフリカの「おかあさん」と「おとうさん」,すさまじい人生を送ったであろうマイケル・ジャクソン(という一人のアフリカ系アメリカ人),彼が生まれ育ったデトロイトという町,今なお人を引きつけてやまないR&Bのサウンド,時代や場所を超越した「トトロの森」を生み出した東村山市,そこで「自然と食」に囲まれながら育てられている保育園児たち,といったものがグルグルと渦巻いていた。

 これだけバラバラのはなしをひとくくりにできるようなストーリーなど組み立てられるものではない。山手線に乗って,ぼんやりとしていると,周りの人たちがチカチカと似たような動作をし始めた。私同様にぼんやりと「夢想」にふける人など,10人に1人もいない。だれもがせっつかれたように,強迫的に,携帯電話を操作している。

 混み合った電車に乗っているときぐらい,諦めて,ぼんやりと「夢想」にふけっては?とおもうのだが,はなしは逆らしい。皆,一心不乱に誰かと更新したり,webサイトをチェックしたり,ゲームをしたりしている。混み合った電車の中では,諦めること,耐えること,待つこと,「夢想」することしかなかったのだが,今はそうではない。まるで何かに追われているかのように,真剣に,必死に,携帯電話を操作している。東アフリカの「お母さん」はこの光景をみてどのように思うだろうか?マイケルは?「トトロの森」の保育園児らは?またまた私の「夢想」はつづく。

not waste, not want

| コメント(0) | トラックバック(0)

 一日に何度か,NHK衛星放送でアメリカABSニュースを利用した「語学学習」の番組が放映される。番組といっても5分ほどの短いもの。

 本日は,"not waste, not want"。これを「もったいない」と訳していた。もともとはアメリカ大恐慌時代に生まれた標語で,「無駄をしなければ,欲しがることもない」という程度の意味だろう。

 ニュースの主題は,ニューヨークでのゴミの搬出量が3割から5割も減っており,リサイクルも流行っているというもの。不況だ。ともかくアメリカ人は極端から極端に走る。

 しかし"not waste, not want"が「もったいない」だろうか。「もったいない」には,モノを慈しむような,大事にするような,感謝の気持ちのようなものが込められている(と思う)。"not waste, not want"にはない。こちらの方は「欲しがりません,勝つまでは!」に近いニュアンスを感じる。

 日本の「もったいない」運動は,mottainaiとそのままの英語で進めていると聞く。はたしどこまで「もったいない」に込められた「きもち」が伝わるのだろうか。

 このところ,「追われる」ことばかりで,「追いつく」ことができない状態が続く。「追っては来ないが,待ち続けている」こともどんどんと溜まっていく。S先生あたりからは「典型タイプA」と言われそう(もうすでに言われているが)。

 「追い越す」必要はない。とはいえ,今日を生きれない毎日がつづく。(本ブログ「今日を生きる!」参照)。
http://www.shudo-psy.net/imada/blog1/2009/03/post-58.html

 はてさて,PHP新書より「進化する日本の食:農・漁業から食卓まで」がでました。現在,書店に新刊として並び始めています。気軽に読める,それなりの中身のある本とおもいます。是非,読んで下さい。(わたしもごく一部ですが,書いています)

 ちなみに,私の担当は「離乳食」「調味料」「非常食」「宇宙食」「介護食」「鯨肉」「お好み焼き」あたりと,「未来への提言」。非常にコンパクトに意見・主張を述べています。

PHP_2009.gif

冷麺と失業率

| コメント(0) | トラックバック(0)

 呉での仕事の帰り,まえまえから気になっていたC来軒の冷麺を食べに行く。12時前だというのに,道路にまで列ができている。並んでまで食べるものでもないと思い,Mリスの中華そばを食べる。こちらも始めて。予想通りの味。淡泊なチキンベースの塩ラーメン。創業60年らしいが,たしかにむかしの味がする。

 再びC来軒へ。あいもかわらず10数人の列が道路にはみ出ている。あきらめて呉の町歩き。なんとまあ,典型的な地方都市というか,メインの商店街通りであるレンガ通りの静けさ。。。人が少なく,シャッターの降りている店もめずらしくない。

 かつてこのブログでも述べたことだが,2008-2009年は失業者の増加が危惧される。日本の4月統計ではとうとう5.0%,アメリカの5月統計では9.4%の数値をはじきだされた。ユーロもひどいものだ。広島もラッシュ時の自家用車の数が減り続けているような気がする。
http://www.shudo-psy.net/imada/blog1/2009/01/post-44.html "失業率とグローバリゼーション"

 2時をまわり,再々のC来軒へ。今回はさすがに空いていた。ガラガラと言っても言い店内。テーブルに座ろうとするとカウンターへどうぞ,と指示される。下手に立ち上がるとおでこを壁にぶつけてしまいそうな狭いカウンターだ。30cmほど前方に立ちはだかる壁に向かいあって冷麺をすすることになった。(店内はガラガラだ!)

 味は予想通り,単純素朴,シンプルのきわみ。麺の水切りがよわく,表面にぬめりが残っている(ゆで釜の水を交換する直前だったのだろう,と好意的に解釈)。具はチャーシューが2枚,細切れキュウリが少々,ゆで卵が半ヶ(これも皮むきが雑だったのか,ツルリとしているべき白身部分がでこぼこしていた)。ひと言で言うならばハズレ。たぶん,お昼時の大忙しで疲れ果てていたのだろう。単純な料理だけに緊張感がなくなると奇妙な代物がすぐにできあがる。

 列に並んでまで食べるようなものではないと思う。とはいえ平日でこの状態なのだから,土日はどうなるのかと心配になる。それでなくとも大和ミュージアムに来た観光客は,呉グルメ=呉冷麺という選択をしてしまうにちがいないのだから。

 Mリスの中華もC来軒の冷麺も,寂れた町(呉はかつて広島以上に賑わった過去をもつ)に似合った,懐かしい味だ。客もちらほらで,ぶらりと入った店だとしたらこれ以上のものはないだろう(昭和の味,ノスタルジー,懐旧。。。)。やっかいなのは,そのような店に,ピンポイント的に(観光)客が集まることだ。

 長崎で食べたチャンポンのような「活気」がほしいな,と思っていたら,なんと長崎からお仕事のオファーがきた。快諾。小倉からもオファーあり。これまた快諾。7月は再び九州の「元気」をもらってきます。

 Cool Japanの「日本のお母さん」を見た。「お母さんの口癖」で多いものは,「疲れた!」とため息らしい。大阪ならば「あぁ,しんどー」というところだろうか。

 これに対して日本滞在中の外国人らは一様に驚く。自分たちの国では,自分たちの母親はそんなことを滅多にクチにしない,と。

 「日本のお母さん」に限らず,「日本のお父さん」だって,「日本の子どもたち」だって,疲れるとそれをすぐにクチにだす。なぜだろう?日本人は疲れやすいのだろうか?

 いろいろな説明が可能だ。1) 実際にバタバタと毎日を送っている為に,疲れている。「日本のお母さん」は総じて働き者だ。2) 「疲れている」とクチにすることによって,他者からの共感と同意を得ようとしている。社会の一員(家族の一員)として精一杯頑張っていますというメッセージではないか,という解釈だ。3) あるいは「一息つく」前のExcuse。

 あらためて思い出すと,アメリカ人がI am tired.とクチにすることはめったにない。何もいわずにソファーによりかかり目をつぶったり,一眠りしたりするぐらいだ。「疲れた」自分自身を「メタ認知」していないのだろう。

 たぶん,日本人は「実際には」さほど疲れてはいない。「疲れた」とクチにしたいのだろう。クチに出さざるえないのだろう。

 しかし,あっさりと,素直に「疲れた。。。あぁ(ため息)」と言いたいのに,つい余計なことを思い出し,このような文章を書いたりするのだから,心理学とはほとほと「疲れる」学問だ。。。

 徳島は,高松,さぬき市に近いこともあってか,うどんがよく食べられている。そこで,地元の方々おすすめのうどん屋へむかった。タイミングよく(とはいっても10分近く待たされたが),釜揚げをたべることができた。うまい。

 店は満席。昼時だったためか列が絶えることはない。

 セルフの天ぷらも数多く並んでいた。インゲンと手長タコの天ぷらをとる。よく見ると,天ぷらにウスターソースをかけて食べている人が何人もいる。テーブルには,ウスターソースと中濃ソースの2種類が並んでおり,私のとなりの人などは,何種類もの天ぷらを山とお皿の上に載せ,中濃ソースをたっぷりとかけて食べている。うどんとソース天ぷらという組み合わせ。。。(一応,マネをしてみたが,今ひとつ。。。)

 徳島は豚バラ肉の煮込みと生卵入りが定番というご当地ラーメンも有名。今回は食べる機会がなかったが,次回はぜひともチャレンジしたい。

 ほぼ一ヶ月にわたる殺人的スケジュールがようやく終了した。出張だけでも長崎,東京,韓国,大阪,徳島とつづいた。特に5月中旬のインフルエンザ騒動では,月末に予定していた日本感情心理学会大会の開催が危ぶまれ,直前までハラハラのしどうしだった。学会も無事に開催され,なんと,参加者の直前キャンセルなどがあったにもかかわらず学会史上最大の参加者を集めた。関係者一同,胸をなでおろす。来年は,広島大学で開催される。皆さん是非参加して下さい。若い人がどんどんと集まり始めています。成長株の学会です。

 とはいえ個人的にはまったく「うだつがあがらない」。貧乏暇なし。健康診断にもいけず,幾つかの「届け」が締め切りに間に合わなかったと,電話やメールで「おしかり」を受ける。でていくお金は多く,入ってくるお金はわずか。。。

 はてさて「うだつ」とは何か?火事の延焼を防ぐ防火壁のことを「うだつ」というらしい。日本感情心理学会大会が開催された徳島近郊の脇町は「うだつ」の町並みが観光の名所になっているという。「うだつ」を上げられる立派な家が並んでいると言うことである。「うだつをあげられない」貧しき人の家は,火災があれば延焼のリスクがある。

 学会終了後の帰路,脇町に寄り道をしようかと考えていたが,「うだつがあがらない」者はそのような時間すら許されなかった。せめて,火事の延焼で(貧しく小さなものでありながらも大事な)家を失わないようにしなければ。。。