まず結婚式には出席しない。親類縁者であっても断ることがある。今回,15年以上ぶりで出席をした。あらためて結婚式について考えてみたい。
1. 突然に出現する「宗教」
教会での「ウェディング」がはやりらしい。広島で人気という「聖R教会」を検索したが,結婚式の案内ばかりで,基本情報(まずは,カトリックなのかプロテスタントなのか)がでてこない。ここで略したR:ラフェエルは何者なのか。
『トビト記』にでてくる天使であり,『トビト記』は旧約聖書の正典であり,新約聖書にはでてこない。ユダヤ教,キリスト教の世界では,ややあやしげ,中途半端な登場人物(?)といえる。
教会側もこのような話しはどうでもいいらしい。「ウェディングプラン」のオンパレードだ。だからこそ,「若い二人」は,カトリックとプロテスタントの違いすらよくわからないまま,「教会」選びをするのだろう。
なぜ突然にキリスト教徒の信じる「神」の前にでていこうとするのだろう?改心したのか?改宗したのか?その後も教会通いを続けるのか?
私には,実に不誠実,不謹慎,宗教というものを茶化している行為に思える。(もちろん教会側にも問題は多い)。いずれにせよ,「人生の門出」を「嘘」から始めるべきではない。そのような「嘘つき人生」の始まりに立ち会いたくはない。
「神前結婚」についても言いたいことは山ほどある。が,ここはひとまず。
2. わけのわからない「宴」
結婚式の宴が「お祭り」なのはわかる。それが,どうにもこうにも中途半端になる。一方には,洋食フルコース(らしきものだが。。。)のマナーが求められ,一方では,ビールを片手にテーブルを渡り歩く行為があたりまえのように見られる。実におちつかない。洋食フルコース(らしきもの。。。)を食べるなら,ビールなど飲みたくない。フィンガーボールは望めないも,パンのでてこないような(和洋折衷)コースなら,最初から「(なんでもあり)懐石(風)」の方がいいのではないか。
仲人が神妙な顔つきで「二人の紹介」をしてほどなく,酔っぱらいが騒ぎ出し,おろおろし始める「両家のご両親」,格調高い詩吟にうっとりしていると,突然にカラオケが始まったりする。どこかのレベルの低い(とんでもなく低い)芸人のまねごとのような品位のない「暴露ばなし」などがでてきたりする。私などはもう,その場に存在していることの不幸を呪うしかない。
人生の門出が,このようなわけのわからない「宴」で始まっていいものか。究極の混乱が人生のスタートにふさわしいのか。少なくともそのような「宴」にかかわりたくない。
どんちゃん騒ぎを否定しているのではない。「お祭り」なら「お祭り」で,最初からそうすればいいのだと思う。
3. なぜ無理をする
「結婚」は人生最大の山場だろう(人によればそのような山場を何度も経験する)。しかし「結婚式」が人生最高の一日なのだろうか。仮にそうならば,結婚式の翌日からは坂道を転げ落ちる日々がまっているだけだ。スタートはゆっくりと,しっかりと足場を固め,徐々に走り出す。はてしなく続く,長い日々のスタートが結婚式であってほしい。
世の親は(さらに本人たちも),結婚式が終わって始めて一安心,翌日は疲れ切ってふらふらとなりがちだ。おかしな話しだと思う。それでは「結婚式はようやくたどり着いた最終地点,終わりの一日,最後の晴れ舞台」になってしまう。ばかげている。
仮に結婚式にでるなら,それは二人の「始まりの一日,ながい日々のスタートライン」に立ち会い,それを祝いたいからだ。「最後の晴れ舞台」を祝うつもりなどない。
結婚には莫大な費用がかけられる。本人たちの収入のレベルでは不可能な費用だ。(やれ結納だ,新居だ,家具だ,新婚旅行はヨーロッパだ。。。)多くのケースは親の負担。その親もひーひー状態(もちろん,財産家の場合は別だ)。ばかげている。
「始まりの一日」が「虚飾」でスタートしていいものか。「始まりの一日」が「嘘で固められた一日」でいいのか。どうしてそんなに「無理」をするのか。多くの親も問題がある。「親の見えだ」とはっきり宣言するひともいる。
例えば400万円のご祝儀があつまるとする。それをそのまま二人に渡して,あとは知らんぷりをする,そのような親がいてもいいような気がする。
4. ということで,
婚姻届は二人の署名(捺印)と,証人二人の署名(捺印)があれば受理される。もちろん証人は親である必要はない(私の場合は,その時周りにいた知人の二人にお願いした。お一人はその後どんどんと「出世」され,今では,お会いすることもままならない「偉い」方になられてしまった。。。)。実に簡単だ。
やはりこれからも,結婚式にでることはないと思う(今回15年以上ぶりで出席した結婚式が決して,このような「ひどい」ものであったのではない。実に慎重に計画され,練られたものだったと思う)。その場が「虚飾」「見え」「無理」「嘘」の場である可能性が高いからだ。終わりの一日である可能性が高く,始まりの一日でない可能性が高いからだ。どうふるまっていいのか分からない「宴」(特に騒音)が苦手であり,終始落ち着かなく,時にいらだち,腹立たしい思いをするからだ。つまり,きわめて不愉快な数時間となる可能性がたかいからだ。
もし結婚式冒頭,上記した内容のスピーチをしてもいいのなら,是非私を呼んで下さい。