本日は,2010年(平成22年)1月12日「成人の日」でお休み。学生も2年生の多くは成人式に参加していることだろう。成人式とは直接関係のない者にとっても祝日。成人人口の増加を祝うだけでなく,この20年間を顧みるひとときをもちなさい,ということなのか。
私の成人式は1974年のはずであるが,まったく記憶にない。私自身も日本の社会も忙しく,成人式を祝うような雰囲気ではなかった。国民一人あたりGDPの推移をみてみると,日本人が,アメリカ人に次ぐ「金持ち」国民(「国民一人あたりGDP」のOECD加盟30ヶ国中の順位)になる道を一直線に走りつづける助走期間に位置していたようだ。とても成人式どころではなかったのだと思う。
「国民一人あたりGDP」の経年にわたる順位変化を見ていくと,日本は1988年に3位に達している。そこでほぼ上限にたどりついたのだ。2年後の1990年には8位に落ちる。しかしその後,急速に立ち直り,1993年には2位をつける。この1993年がまさに「ハレの年」であり,その後しばらくは上位にとどまり続ける。ところが2000年より急速に落ち始め,IMF推計によれば2008年は22位ということだ。1980年あたりの位置にまで落ちている。つまり本日成人を迎えた人たちは,20年の人生の前半は「経済大国」日本に生きて,後半は日本経済が急速に落下し続けていく10年だったということになる。つまり「黄昏れ(たそがれ)」の人生だ。
世代比較をしてみると,今30歳の人は,10年刻みで上昇-高原-下降の人生をおくっており,今40歳の人は,同じく10年刻みで上昇-上昇-高原-下降となり,今50歳の人は上昇-上昇-上昇-高原-下降となり,今60歳の人は上昇-上昇-上昇-上昇-高原-下降の人生を送ってきたことになる。このように見ていくと,世代による「人生観」「世界観」の違いがおおきくなっても仕方がないように思えてくる。
はたして10年後の成人式に出席する人たちはどのような20年をおくった人たちになるのだろう。下降-下降なのか下降-低迷なのか。よほどの(世界史的)事件が起きないことには下降-上昇はないだろう。
もちろん「国民一人あたりGDP」だけがQOLを決めるわけではない。ただ,下降と低迷しかしらない世代の人たちの「幸福感」は,上昇を経験してきた世代の「幸福感」とはずいぶんと違ったものになるような気がする。
