学習性無力感(絶望の学習)で一躍時の人となったゼリックマン(M. Seligman)はその後,やる気のなさが学習されるのならば逆に,やる気だって学習されるはずだ,ということで学習性楽観主義(learned optimism)を唱えた。
*セリックマンなのかゼリックマンなのか今ひとつはっきりしない。
Seligmanが学習性無力感の研究を行っていたのは1960年代の後半であり,その後学習性楽観主義の可能性を論じ始めた。1991年には本を出している。臨床心理学のリーダー的存在から健康心理学のリーダーとなり,今やポジティブ心理学の「教祖」的存在だ。
心理学はこれまで「ネガティブな側面」にばかり目を向けてきた。もうそのような時代ではない。これからの心理学は人間の「ポジティブな側面」に目を向け,より前向きに生きていく「科学的」方法を身につけていこう,という考えがベースにある。
1998年にはアメリカ心理学会の会長に選出された。ポジティブ心理学の勢いは止まらず,今ではかなりの大学でポジティブ心理学のコースが置かれ,ポジティブ心理学部(学科)も生まれ始めているらしい。
-------------------------------
セリックマンと彼の所属するペンシルバニア大学心理学部は学部生の頃からなじみがある。セリックマンの「かっこよさ」(外見のことではない)は他の心理学者を圧倒する。初めて直接にお会いした20年前ですら「大スター」であった。それがこの20年間でさらに「大出世」し,「スーパースター」となっている。
そのような人物であるだけにポジティブ心理学の動向には注意をしていた。
しかしどこか引っかかる。何かなじめない部分がある。幸福(happiness)は本当に科学の対象となりうるのだろうか。。。
------------------------------
心理学ではないが興味深い本がでた。「ポジティブ病の国,アメリカ:Bright-sided」というタイトルだ。「あやしげ」な本ではない。むしろ,理系出身の著者が社会問題をとりあげるとこんなにカタイ本になるのか,といいたくなるほどしっかりとしている。
そこでは当然のことながらポジティブ心理学が取り上げられている。インタビューに登場したセリックマンは申し訳なくなるぐらい「あやしげ」な人物だ。狡猾で,計算高く,無責任で,自分勝手な人物であるかのような印象だ。
微笑みや笑いが免疫を高め,ガン細胞の増殖を抑え,抑えるどころか排除するような可能性があるのだろうか?(お笑い番組全盛の日本にがん患者はいないのか?)
著者は細胞免疫学を専攻していただけに,そのあたりの批判的記述は実に説得力があり,わかりやすい。
-----------------------------
アメリカの現代史をみてみよう。なぜベトナム戦争が継続され,あれほどこじれてしまったのか。なぜイラク攻撃が行われ,その「正当性」が正々堂々と主張されてきたのか。なぜリーマンショックが発生し,地上で流通していたはずの「紙幣」の4割ほどが突然に消えてしてしまったのか。なぜ穀物(トウモロコシ,大豆)の種子の8割がGMO(遺伝子組み換え作物)になってしまったのか。
著書は,これらの「非常識」を支えてきたもの,今なお支えているものがポジティブ思考だという。アメリカ人は,ポジティブ思考に「マインドコントロール」されている。ポジティブ心理学はそれに「科学的」根拠をあたえつつある(それが科学といえるかどうかについては懐疑的だが)。
-----------------------------
確かに「アメリカ人」は総じて「異様に」明るい。笑うこと,微笑むことを大事にする。社交的な場面では特に重視する。久しぶりに会うと大喜びで抱きしめて(ハグして)くる。悲しい話しにはできるだけ目を向けず,話しを変えようとする。
ものごとのよい一面,明るい一面(bright side)に注意を傾け,前向きに,積極的に,よりよい未来を信じて,前進あるのみという価値観,心情,思考法をとる。
そして,そのことがものごとの否定的側面(dark side, negative side)への関心を失わせ,正確な,ファエーな,より客観的,批判的な判断をにぶらせてしまう。
「ノーテンキ」なアメリカ人ができあがってしまうというわけだ。
----------------------------
進化の過程でわれわれは,ネガティブな一面により一層の注意を払うようにバイアスがかけられた。今や恐竜や氷河におびえる時代ではない。そのようなバイアスに打ち勝ってこそ人類の未来があるのだ,という説得にアメリカ人は呼応する。そこにポジティブ心理学は「科学」というスパイスを注入する。
アメリカ人の貯蓄率は低い(明日に不安がないのか)。転職を繰り返し,下手をすると収入的にはすぐに下層に落ちてしまう。さらにホームレスになってしまう。彼らの「不幸」の声は社会の表舞台にはとどかない。
*補記:「日本の「家計貯蓄率」は世界最低水準」という記事を見て驚いた。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100716/237208/
日本人の貯蓄率はとんでもなく低くなっている。たっぷりと貯金をしてい高齢者世代人口の減少,生活の為の貯金の取り崩しなども反映されているようだ。なんなんだ,これは!という数字である。
社会の表舞台で人生を送っている人にとって大事なことは寄付(donation)だ。この寄付の習慣,その金額も日本の比ではない。なにか,ポジティブ思考の「負の側面(negative side)」を寄付という行為でカモフラージュしているような気すらしてくる。
----------------------------
人の食行動だって,苦み,渋み,辛みなどには敏感に反応するが,「おいしさ」には鈍感だ。危険には敏感だが,安全には鈍感だ。病気,けが,苦痛には敏感だが,「健康」には鈍感だ(健康な人は健康であることを意識しない)。
----------------------------
日本人にもポジティブ思考が浸透してきているような気がする。最近の「若者のやさしさ」や「草食系男子」の属性にポジティブ思考は大きなウェイトを占めてはいないだろうか。
お説教めいた話しになるが,ものごとには必ずポジティブな側面とネガティブな側面があり,その両者を正当にかつ「批判的」に評価していくことが思考のあるべき姿のように思う。
ネガティブな側面にばかり注意がいく人にとってポジティブ心理学は有効だろう。しかし,それが,ものごとのネガティブな側面を忘れることを助長するようなことになれば危険このうえない学問となる。
資料:http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100716/237208/より
